クオリティマネジメント Quality Management

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HOME > 2014年10月-12月(No.11) > コラム・エッセイ > QMコラム(第7回)マインド研修
[QMコラム]を連載します。

第7回
マインド研修

2年ほど前からコンプラインス研修をやっていて、思うところがありました。コンプライアンス(compliance)の直訳は「法令遵守」。見るからに、聞くからに堅苦しい響きをもった言葉です。ところがこの法令遵守違反が、昨今さまざまな社会活動の中で取り沙汰されるようになっています。とりわけ企業活動での法令違反は、個人の問題にとどまらず、組織活動の問題として社会から糾弾され、その結果として責任者の刑事訴追・辞任、被害者への損害賠償、当該会社の製品の不買運動につながり、ブランドの失墜を招くケースが多くあります。長年にわたって築きあげてきたブランドの名声が、一夜にして崩壊する。このような事件を私たちは数多く見聞きしてきました。

上述の背景もあって、コンプライアンス研修に力を注いでいる企業も多いはずです。ところが筆者自らが、かつてこの研修の講師をやっていて「この研修は本当に受講生の心に届いているのか」という自問をしてみると、案外そうでもないかも知れないと思ったことがありました。

研修の内容は最近、社会で話題になった事件や教訓、重要な法令の要点、内部統制という聞きなれない言葉の意味、そして行動基準の説明へとつづきます。これらは、この種の研修で確かに欠かせないものであり、とはいえ何か物足りない。もちろん、講師としての自分の未熟さを反省しつつも、受講生にとって当事者感覚が薄く、身近に我がこととして受止めにくいのではないかと思いました。

コンプライアンスのことをよくよく考えてみると、この問題は法律やルールがあろうがなかろうが「天からの規範にもとづき、その行動は人として正しいことか?」を自分の心に問いかけて判断し、日常的に対処していくものだということがわかってきます。それが根本にないといけません。そのつど、きめ細かいルールや規則を引っ張り出し、それに寄り掛って判断するといった特別なことだけがコンプライアンスではないのです。

そして、この規範はいつも私たちの身近にありました。家庭や社会生活で学んできた儒教や武士道の教えがそれであり、また、それぞれの会社の経営理念では、いかに仕事と向き合うべきか、どう社会に役立つべきかが掲げられています。ところが、日々の処世において人は悩み、迷い、ついつい大勢に流され判断を間違います。人としての弱い性格がでてしまう。誰もがみんなそういう部分をもっているという理解のもとで、自社の企業理念の1つひとつの言葉の意味を振り返り、その重みを噛みしめ、「嘘をつかない」「偽らない」「隠さない」など、あたり前の社会規範のなんたるかを思い起こし、心に刻み込む。筆者は最近、このような「心のありよう、考え方」に力点をおいたカリキュラムを研修の中に折り込んできています。このいわゆる「マインド研修」により、受講生にコンプライアンスを少しは身近に感じてもらえたのではないかと思います。

「心のありよう、考え方」。すなわち「マインド」を伝え、共有するための研修は他のテーマの研修においても、その取上げ方に趣きのちがいはあれ、ますます重要性を増しているように思います。さまざまな品質研修においても、仕組み・手法を知識として教えるだけでなく、その心をどのように研修に折り込んでいくかが、たいへん重要だと感じています。そして、その心の部分は、実はそれぞれの会社が試行錯誤して、独自に体得してつくり上げてきたものが多いように思います。現代の企業人に託されるタスクは多く、そのための仕組み、手法、イベントも非常に多い。ただ、それらをこなすことに汲々として、ついついそれらのなんたるかを熟知せず、その心や考え方の真髄に触れることなく、日々を送ってはいないだろうかと、そんな反省もあって、昨今は「品質マインド研修」を意識して取組んでいます。自社の品質に関する歴史、逸話を掘り起こし、その意味を丁寧にしっかり伝え、そして受講生に「腹落ち」してもらう。そんな「マインド研修」をこれからも磨きあげなければと思っています。

(M. K.)

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