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HOME > 2014年10-12月(No.11) > スペシャルインタビュー > (株)野村総合研究所・藤沼彰久氏

地道な仕事にも誇りをもつエンハンスメント業務革新 (株)野村総合研究所 取締役会長 藤沼 彰久 氏

(株)野村総合研究所(以下、野村総研)は、野村證券のシステム構築に携わった経験をもつ藤沼彰久社長(当時)の下、システムの維持・保守という主要業務を「高めていく、向上させる」との意味をもつ「エンハンスメント」と呼び、業務革新を進めた。2005年のキックオフで、藤沼社長は「野村総研のコアビジネスはエンハンスメント」と明言している。業務革新では、ものづくりの改善手法をシステム運用全般に活用してトラブルの実態を洗い出し、時間をかけて少しずつ「見える化」を進めていった。その結果、2006年度からの4年間で、システム運用にかかわるトラブルを5分の1以下に削減するなど大きな成果につなげている。「品質向上の取組みで、もっとも重要なのは人材育成」と語る藤沼会長に品質向上活動についてお伺いした。

聞き手:廣川州伸

コンピュータ創世記を超えて

―まず藤沼会長の、仕事のプロフィールを教えてください。情報システムの仕事で、何か印象に残っていることはありますか。

当社の前身である野村電子計算センター(以下、NCC)は、1965年、野村證券のコンピュータ部門が独立して誕生しました。その翌年、野村證券では第一次総合オンライン構想をつくり、NCCでは開発プロジェクトがスタート。これはお客様の株式、投資信託などの情報をオンライン管理することで野村證券の本支店の窓口業務を合理化するもので、1970年に完成しています。

NCCでは、この大型システム開発で蓄積した技術をベースに、証券共同オンラインシステム「STAR」を稼動させました。これにより、本来は巨額な費用が必要なオンラインシステムを中堅証券会社が共同で利用できるようになり、業界の合理化が進みました。マルチユーザーによる共同利用システムは、日本初だったと思います。

私が入社した1974年はそんな時代。コンピュータも創世記で、性能もよくありません。手作業のシステム化が課題で、ある意味では非常にわかりやすかった。ただ、少し変わった分野になると社内に知っている者はいませんでした。それで「自分たちで考えろ」ということになります。

入社1年めは、見よう見まねでやっていました。2年めに3~4人でチームを組み、本格的なシステムづくりに取組みました。お客様は、自分の債券の利回りはどうなっていて危険度はどうかなど、ポートフォーリオを知りたい。そこで、お客様の視点に立ち、これがあれば便利だろうと、検索システムの開発に着手したのです。

お客様が1,000社いたとして、それぞれ1,000の債券をもっていれば総数で100万件。今ならどうってことはない数ですが、当時はコンピュータの性能がよくなかったので、とても苦労しました。いろいろなキーワードで分析できるようにしたいのですが、検索システムのつくり方がわからない。少しは先輩に教えてもらいましたが「あとは好きにやってみなさい」といわれ、寝食を忘れて没頭しました。結果は、見事に失敗。この時、システムをつくり上げるのは、本当にたいへんだと身をもって体験しました。

その当時の営業店は精算端末が1台しかなく、みんなで伝票を書いて注文をしていました。それを、全店で1,000名ほどいた営業補助の女性が入力していました。

その後、入社4年目の1978年に第二次総合オンラインの構想ができ、1980年に稼動すると、株式などの注文は営業補助を介さず、自分で端末を使って打ち込むようになりました。仕事のやり方が、劇的に変わっていったのです。そのコンピュータ技術と通信技術は、世界レベルでみても最先端だと高い評価を受けました。

第二次総合オンラインで、私は作業レベルでしか関わっていませんでしたが、コンピュータによる業務革新の凄さを目のあたりにしたことになります。
 

―現場で、実際に体験されたことが大きいですね。

NCCでは、業務内容によって「受託計算センター(今日のアウトソーシング)」と「ソフト開発(システム開発業務中心)」があり、仕事のやり方が大きく異なっていました。仕事の中心はコンピュータを稼動させ、運用でしっかり売上にしていくビジネスです。

ところが、大手証券会社が第二次総合オンラインから第三次総合オンラインへと進む中、当社も新規システム開発業務が華々しくなり売上も増えていきました。新規システム開発はスマートで面白そうに見えますから、いつしか日があたる状態になっていました。

ところが、第三次総合オンラインはインフラ整備に軸足がありました。お客様の側からみれば、インフラが整備され標準化されるのはいいが、それで生産性が上がらなければ意味がありません。お客様には、期待外れの面もあったかと思います。当社の側も、インフラ整備は重要ですが、お客様に付加価値を提供し、生産性を劇的に上げて利益につなげる仕事をしたいという想いはもちつづけていました。

私は1974年4月の入社以来、2000年3月まで情報システムをつくってきましたが、その年の4月から、お金を稼ぐ部署のトップを任されました。これまではお金を稼がなくてもいい立場でしたが、仕事の内容がまったく変わったのです。とまどいながらも必死で対応していたところ、2002年4月からプロパーではじめての社長となったのです。

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