クオリティマネジメント Quality Management

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HOME > 2015年07-09月(No.14) > スペシャルインタビュー >アイホン(株)・市川 周作 氏

アイホン株式会社 代表取締役社長 市川 周作 氏

オーストラリア・シドニーのとあるホテルでの出来事である。一人の日本人ビジネスマンがコンシェルジュにタクシーを呼んでほしいと頼んだ。コンシェルジュは手際よく手元のインターホンのボタンを押す。発せられた聞き覚えのある音色にビジネスマンは身を乗り出して「機械の調子は?」と問いかける。尋ねたのはアイホンの市川周作社長。相手が日本人とわかるとコンシェルジュは「こいつはいい仕事をしてくれる。アイホンというんだがね」と製造国の客に対する気遣いをみせた。無論、彼は目の前の日本人が製造元の社長だとは知らない。「遠い異国で地元の人に愛されながら健気に働く子供の姿を垣間見たようで思わず胸が熱くなりました」と市川社長は振り返る。今や世界約70カ国で使われるインターホン業界の巨人はどのように信頼を勝ちえてきたのだろうか。

聞き手:伊藤公一(取材日:2015年4月)

創業当時の社名に込められた先代社長の思い

――御社の歴史を紐解くと1948年創業の「合資会社 東海音響電気研究所」に行き着きます。研究所という社名に創業者の強い意気込みが感じられます

市川氏(以下略): 創業者であり、先代社長でもある父親(市川 利夫氏)はもともと音響メーカーのエンジニアでした。ですから会社を立ち上げた当時はラジオや拡声器の組立、修理などを手がけていました。その傍ら、同時通話式インターホンの研究開発にも余念がなかった。やはり、人のつくったものを扱うのでなく、メーカーという立場になりたかったのでしょうね。当時の社名には父親のそんな思いが込められていると思います。

真空管式同時通話インターホン「テータホン」

真空管式同時通話インターホン「テータホン」
(写真提供:アイホン(株)、以下製品写真すべて)

そうした努力を重ねた末、1952年に真空管式同時通話インターホン「テータホン」(写真)の発売に漕ぎ着けます。開発のきっかけは多忙をきわめていた知り合いの旅館の館内連絡網について相談を受けたことです。価格は1台19,400円。当時、大卒初任給が7,650円の時代です。しかも双方向ですから最低2台は必要になります。それでもこれまでこうした連絡用の機器はなかったため、多くの人の注目を集め、累計出荷台数は400台を超えました。これを機にインターホン専門メーカーの体制を整えました。この年には社名を「愛興高声電話器合資会社」に変更。1954年には製品商標を「アイホン」としました。
 

――そして今日に至る快進撃がつづく。

といいたいところですが、予期せぬトラブルに見舞われます。名実ともにメーカーとして手がけた第1号のテータホンは、特許を取るなど画期的なメカニズムを備えた最新式の装置でしたが、不本意ながら経年変化によるクレームが相次ぎました。売れた分だけ、苦情が来るのでたまりません。品質管理に注意を払っていなかったことに対するツケが回ってきたのです。身をもって品質にともなう痛みを感じました。

この経験は後年に役立つたくさんの教訓をもたらします。先代は「身の丈以上のことをするな」と事あるごとに唱えるようになりました。経営理念の「われわれの合言葉」で「自分の仕事に責任を持て 他人に迷惑をかけるな」を掲げているのもその時の反省を踏まえています。あわせて「誠心誠意を忘れるな、嘘をつくな、贅沢するな」も守るべき戒めの言葉として胸に刻んでいます。

会社の存続を賭けて臨んだTQCの導入

――製品商標をアイホンとした1954年には早くも今日の事業の礎となるドアホンを発売しています

イメージ

5年後の1959年には株式会社に改組して社名もアイホンとしました。この間、1955年に今日の主力事業の1つであるナースコールインターホンの1号機を国立大府療養所(愛知県)に納入しました。1957年には初の海外事業として南アフリカ連邦に製品を輸出しています。そして、1958年には真空管の代わりにトランジスタを採用したドアホンを発売しました。

1950年代がインターホンの「認知と普及の時代」だとすれば、1960年代は「需要拡大の時代」といえるでしょう。実際、拡声で大勢の人に一度に伝えられるインターホンはスピーディーな連絡手段として評価されるようになりました。急テンポで進む経済発展に合わせて、業務用のインターホンが定着しはじめたのもこのころです。
 

――テータホン以来の品質管理に対する取組みが、ようやく実を結びはじめたということですね。

ところが、世の中はそんなに甘くはありません。1973年に発売したトランジスタ型のドアホンに、通話時にノイズが出ることがわかったのです。これも経年変化が原因でした。結果は15万台全数不良という厳しいものでした。正直、会社がつぶれると思いました。

当時はこれまでの競合に加え、大手家電メーカーが新たに参入する一方、新製品開発が大幅に遅れるなど経営を巡る環境が悪化していました。そんな時期に品質に関わる重大なクレーム製品を出してしまったのです。にもかかわらず、社内の品質保証体制がきちんとしていなかったため、状況はどんどん悪いほうに向かいました。情けないことに、その不良の原因はすでに他社で解明されていたものでした。しかし、当社はそれを知らなかった。
 

――悪いほうに向かう流れを変えたのが、TQCの導入であったわけですね。

すでにTQCを導入している会社からTQCの素晴らしさを教わったのがきっかけです。さっそく工場を中心に10のQCサークルを立ち上げました。その過程で、当社の経営理念と品質管理の神髄は同じであると確信しました。そして1976年に先代がTQCの導入を宣言します。「時代は変わった。このままでは5年後に会社はつぶれてしまう。だから、いまTQCに取組むしかない」と会社の実情を全社員に洗いざらい話し、賛同をえました。掲げた目標は「いかなる変化にもつぶれない企業体質をつくる!」でした。

それを実現するために「新製品開発を重点に置いた品質管理を行う」ことと、「自分の仕事に責任を持て 他人に迷惑をかけるな」という理念の実践に力を入れました。そして1981年には待望のデミング賞(当時の中小企業賞)を受賞することができました。本格的なTQC活動をはじめて、わずか5年後のことです。

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