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HOME > 2016年7月-9月(No.18) > コラム・エッセイ > 第21回「顧客価値の変化」
テーマ[過去・現在・未来]

第21回
「顧客価値の変化」

今年の初詣に日枝神社に行った。日枝神社には20年以上詣でているが、例年、初詣客は年配者が多かった。ところが、今年は若い人が目立った。お守りの購入者も大幅に増えて、はじめて順番待ちの列ができていた。心の安心を願う気持ちが強まっているのか。はたまた、精神的なものへの欲求が強まっているのか。この光景が「ものから心への時代の変化」の象徴として印象に残った。

最近も、ものの所有意欲の低下を感じる現象に出くわした。私は新宿のマンションに15年強住んでいるが、マンションの駐車場の空きがだんだん増えて、とうとう全体の2/3までが空いてしまった。駐車場は2ヶ所あるのだが、まず1ヵ所の2/3に相当する地下駐車場を埋め立てて対応したのだが、次いでもう1ヶ所でも2/3をサブリースの形で外部に貸出さざるを得なくなった。他方、自転車置き場は満杯である。シニアの住人が多いので、高齢化で車を手放したということもあるかもしれないが、車を所有する意欲が減退して、車が必要な場合はレンタカーやカーシェアリングを利用することも多くなっているのではないか。都会では若者の車離れも増えていると聞く。今はネット利用やSNSが盛況で、ものの所有より「情報を得る」「情報を発信する」「誰かとコミュニケーションする」「誰かとつながる」ということへと、人々の関心の重点が移っているのではないか。

さらに、都会・人工物から田舎・自然への回帰や、農業の見直しという風潮も21世紀になって強まっている。私は10年ほど前から、“自分で育てた安心・新鮮で美味しい野菜を食べたい。そのために家庭菜園をやりたい。”と考え、最初は練馬区の5坪程度の貸農園を借りて菜園をしていたが、昨年、とうとう八ヶ岳にセカンドハウスとして山小屋を持ち、近隣に借りた畑で家庭菜園をはじめるまでになった。練馬区の貸農園を借りていた時は、区営の市民農園は抽選倍率が高くてなかなか当選できず、民間の貸農園も人気で満杯で、若い夫婦と子供がレジャーのように野菜づくりを楽しんでいるのが新鮮であった。八ヶ岳の山小屋を探すために田舎の不動産情報雑誌を見たり、現地情報を入手したり、物件を見て回ったりした際も、田舎のセカンドハウスや地方への移住、田舎・自然回帰が増えてきていることを実感した。

さて、日本の農業に目を転ずると、後継者がおらず、農家の減少がつづき、「このままでは日本の農業が廃れる。何らかの対策が必要だ。」ということがいわれて久しい。安倍首相は農業の振興に注力しており、農業経営の大規模化奨励、企業参入の規制緩和などの施策を打ち出しており、新規就農や農業研修への資金援助や、農業経営力強化講座受講への資金援助なども行われている。そうした施策の背景には、大規模化や農業生産法人の増加が進む一方で、いまだに80代以上の高齢農家がちょうど代替わりの時期となっており、耕作放棄地や貸畑が増えているという実情がある。

農家の後継者不在が大きな課題となる中で、非農家からの新規就農はまだ少ないものの、このところ農業に新しい価値観をもって取組む世代が目立ってきた。私事ながら東京育ちの24歳の息子は、新規就農をめざして千葉県の有機農家で1年間の研修を受けている。その有機農家は有機農業の先駆者であり、これまでに約70人の農業研修生を受け入れてきた。先日、その有機農家を訪問した時、経営者の語った言葉が印象的であった。『昔、農作業をしていた時、近くのマンションの親子連れが通りがかり、母親が農作業の様子を見て、子供に「勉強しないと、あぁなるのよ。」といった。ところが今では、わが家に来る農業研修生は、一流大学卒が多い。』若者の農業の見直し、農業の位置づけが異なってきていることは間違いない。

また、息子ともう1人の研修生が、研修先農家の通信誌に“研修生の挨拶”として書いた言葉が、若者の農業の価値観の変化を如実に示している。「大学時代に出会った肉牛農家は、高い肉牛飼養の技術をもち、自家用野菜・米を栽培し、鶏も飼って、昆虫や植物にも精通し、農家として生きる術を幅広く身に着けていた。便利でも空虚に感じられる生活より、アナログでも生きる術に精通して、なんでも器用にできる農家の方が格好いい。その肉牛農家はめざすべき憧れの存在となり、新規就農を志すようになった。新規就農後は、安心安全はあたり前のものとして、味を付加価値として捉え、野菜の持ち味を最大限生かした商品づくりをめざしていきたい。」さらにもう1人は農業高校4年生(4年目は農家での住み込み実習を行う専攻科)の18歳の女性は、「これまで出逢った有機農家がかっこよかった。その農家の方々はとても生き生きとしておられ、自分の仕事に誇りと信念を強くもっているようにみえた。私の夢は地元の町を守ること。小さな農業を基本に自給的暮らしの豊かな町づくりをする。そのために、まずは自分自身が自給をベースとした小農を実践していきたい。」と述べている。

二人ともなんと農業への取組み姿勢が明確で、農業・農家へのゆるぎない憧れと情熱をもっていることか。こうした若者が増えてくれば、農業の大規模化だけではなく、小農でも有機農業や味などの差別化で農業が継続できる。また、農業およびその発展形の農産物加工、販売、レストランなどが、今後地域の中核産業として地域活性化、地域コミュニティを支えていくことができる。

日本の成長期には製造業がメインで、製造業の発展とともに、ものが豊かに安く手に入るようになっていた。所得も増え、中間層が増えた。その意味で20世紀は、規模を拡大して同じものを大量に生産、取引してコストを下げる、「大量生産・大量消費」の時代であり、ものの豊かさ、物質主体の大衆社会であった。隣が持っているものは、わが家でも揃える。豊富な品揃えのものが、大量生産・大量調達で安く手に入ることが顧客価値の重点であった。

ところが、21世紀は顧客価値が変化してきており、その兆候が至る所で見られる。ものが豊富になり、家中にものは増えたが、ものの豊かさと反比例して心の不安やストレスが高まり、心の安心や満足への欲求が高まっている。友人の精神科医のクリニックでは、ストレスを抱えた鬱病などの患者が増えてきているという。資本主義が行き詰まり、金融と実体経済が乖離して、マネーに実体経済が左右され、所得格差が拡大して中間層が減少し、世代間の格差も拡大している。金子勝氏の著書「資本主義の克服―『共有論』で社会を変える」[1]によれば、(年金や健康保険制度などの)社会保障制度はセーフティネットの機能を失ったとされるが、不安定な社会環境や将来への不安が一層、心や精神の安定や満足を求める動きを助長するといえるだろう。

さらに金子氏は、『産業構造と社会システムは20世紀の「集中メインフレーム型」から21世紀の「地域分散ネットワーク型」への転換である』、『地域分散ネットワーク型の産業構造の形成の出発点として有望なのは、エネルギー、食と農業、福祉といった分野である』という。個々の地域でそうした分野が成長して、地域のコミュニティが暮らしを支えるセーフティネットとしての役割を果たせるようになることが期待される。

食材の流通でいえば、高度成長期には食材の流通はスーパーが主流となっており、大量生産、大量消費、安い輸入食材の調達、味や形態の画一化がその特徴であった。しかし、今、地産地消がアメリカで人気となり、日本でも農産物直売所やネット販売が増加して、新鮮で、季節感やつくり手が見える地産地消が徐々に増えはじめている。スーパーでも食料スペースの一角に地場野菜や地場産加工品のコーナーを設けて地産地消をアピールするところが目立ってきた。食材の流通では、昔のように食べる人とつくる人が近接する場が生じてきた。顧客価値が大量生産の画一で安いものを求めることだけでなく、鮮度や味、季節感、つくり手が見える安心感・満足感を求めることも重視するようになってきた。

「所有から利用へ」、「都会での暮らしから自然での暮らしへ」、「農業の見直しと自給的生き方への回帰」、「鮮度や味・季節感・つくり手が見える安心感・満足感」。21世紀のこれからは、こうした「ものから心の満足」へ、自分主体の生き方へ、人と人のつながり、コミュニティづくりの重視へと顧客価値の重点が変化していく。今はその移行期ではあるまいか。

(T.M)

参考文献

[1] 金子 勝(2015):「資本主義の克服―『共有論』で社会を変える」、集英社。

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