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HOME > 2013年4月-6月(No.5) > 特集 > 運用・保守の課題「(株)BMC」
特集 運用・保守の課題 どうすれば事故を未然に防げるのか

日本ブランドの品質を左右するメンテナンスの重要性

(株)BMC 代表取締役
 阿部 允(あべ まこと)氏

 

阿部氏
(株)BMC 代表取締役
阿部 允(あべ まこと)氏

日本は戦後、アジアの奇跡と呼ばれた高度経済成長を遂げた。その原動力の1つは、社会資本投資であったことは誰もが疑うことがないだろう。社会的資産は過去60年の間に蓄積され、内閣府の推計によると社会資本ストックは、2009年度におおよそ400兆円となった。

一方、この社会資本ストックを集中的に蓄積したことによる弊害も起きている。経年とともに劣化が進み、積極的な再投資をしなければならない構造物が増えてきたからだ。これを新しいものにするには新設の何倍もの経費を要する。このことが、劣化した構造物が十分なメンテナンスを受けないまま、放置される遠因となっている。

今回、旧国鉄やJRでのメンテナンス実務、鉄道綜合研究所での技術開発に携わり、どんなに素晴らしい「技術」や「知識」があっても、「誠実な想い」がなければ優れたメンテナンスにはつながらない、と提唱される(株)BMC 代表取締役 阿部 允(あべ まこと)氏に、社会的資産の健全な長寿命化を図るための方法論をうかがった。

(聞き手:大坪 和博)

土木構造物は30年や40年の経年で「老朽化」することはない

―笹子トンネルの事故以降、社会インフラの「老朽化」が指摘されるようになりました。

私はこれまで、旧国鉄、JRを中心に橋梁のメンテナンスに携わってきました。トンネル事故の原因やメカニズムについてコメントできる立場にはありませんが、原因をすべて「老朽化」とされていることに、私自身、どうも違和感があります。笹子トンネル事故以降、大半の社会インフラの土木構造物が30年や40年の経年で「老朽化」と指摘されていますが、それは明らかに間違いです。

われわれが携わってきた多くの鋼橋は、適切にメンテナンスさえしていれば、150年以上もつのはおかしくありません。その好例がインド国鉄です。インド国鉄はイギリスの植民地時代の1853年から操業していて、日本より20年ほど古い歴史をもっています。植民地でありながら豊富な資源を有していたインドは、イギリスが積極的な投資を行ってきたので、鉄道橋だけでも約12万橋もある鉄道橋王国なのです。

JRの1886年製の最上川橋梁
いまだに健全な、JRの1886年製の最上川橋梁
(写真提供:浅岡敏明)

橋全体の90パーセント以上はレンガ石積み構造です。また、全体の42パーセント、約5万橋は19世紀(1800年代)に建設されたものが残っています。鉄製の橋は少ないのですが、大河を渡る長大橋のほとんどは鉄の橋です。これらの橋は、当時のイギリスの最新技術を用いて建設されたもので、すでに建設してから150から160年経過しています。それが今でもインドの鉄道を支えているのです。1850年代といえば、日本では坂本龍馬が活躍した1860年代から遡ること10年あまり前です。その当時、最先端の英国橋梁技術だったとしても、現在のものより素晴らしい素材や製作技術があって、高度なメンテナンスが行われてきたとは思えません。にもかかわらず、最近、日本の橋が40、50年で「寿命だ、老朽化だ」といわれていますが、今の日本のものに比べても高品質だったとは思えないのです。

―その時代のインドの橋に比べると50年で老朽化は短いですね。

インドの橋を支えるギャングと呼ばれる橋守たち
インドの橋を支えるギャングと呼ばれる橋守たち
(写真提供:大谷直生、インド国鉄にて)

インドの全部の鉄橋が健全な状態にあるかというとそうではありません。中には、すでに老朽劣化して落橋や廃棄されたものもあります。ただ、その違いは「それなりにメンテナンスされたか」「放置されたか」ではっきり分かれています。すなわち、放置された橋は経年劣化とともに「老朽化」して使えなくなっています。逆に、適切なメンテナンスをしてきたものは、150年以上社会的資産として現役で活躍し続けているのです。

このことについて、今から8年ほど前に、インド国鉄の橋梁調査をさせてもらったことがあります。そこでわかったのは、インドの鉄道橋には、定常的に橋の手入れをする「ギャング」と呼ばれる「橋守」がいるという事実でした。彼らは、とくに高等教育を受けた人材ではないものの、常に、橋を自分のものとして清掃し、ゴミや汚れを落としたり、何か異変があれば通報する役割をはたしているだけなのです。そして、そこでもらえる手間賃で自分たちの家族を養っています。すなわち、彼らはその橋が落ちたら飯が食えなくなるので、橋に愛情を注いで大事に使おうとし、こまめな世話をすることで生活の糧(かて)をえているのです。

それをみると、今の日本が経年40年や50年で「もう寿命だ、老朽化だ」と言っていることには疑問を感じます。もともと橋も含め、土木構造物は、設計や建設の段階で40、50年を「寿命」としていません。ただ、橋を資産としてみた場合の償却の目安として「想定耐用年数」を設定しており、それが橋の場合、40、50年としているだけなのです。もし仮に、放置状態にされれば、その前に寿命がくるかもしれません。しかし、適切な管理さえしていれば150年以上もつのです。これは、人間の寿命のほぼ2倍程度になります。今、騒がれている経年40年の橋は、人間に置換えたら20歳の若者なのです。40年で「老朽化」というのは、20歳の若者を「老人」と呼んでいるのと同じようなことなのです。

もちろん20歳の若者であっても、暴飲暴食をくり返したり不摂生をすれば、体にガタがきている人もいるでしょう。何も体のケアをしないでいれば、元気な老人より役に立たなくなっているかもしれません。でも普通に健康に気をつけて生活していれば、社会で活躍できる人材になれたはずです。このように考えると、少なくとも30、40年の経年劣化で「老朽化」と断じてしまうのは、明らかに間違いなのです。笹子トンネルの事故を同様に判断するのは早計かもしれませんが、少なくても安易に「高齢化イコール老朽化」とすることには違和感があります。事故は、「古い」から起こるのではなく、「悪い」ところで起こると考えるべきでしょう。そして、40、50年で老朽化したものは、「老朽化させた」というべきでしょう。

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