クオリティマネジメント Quality Management

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HOME > 2014年4月-6月(No.9) > 特集 > 安全・安心の品質を伝える「キユーピー(株)」
特集 安全・安心の品質を伝える プロセスを「見える化」すると魅せられる

科学的な「安全」よりも大切なことは、
消費者と会話して「安心」していただくこと

キユーピー(株)
品質保証本部 設計品質部
部長 堀池 俊介 氏

 

堀池 俊介 氏
キユーピー(株)
品質保証本部 設計品質部
部長 堀池 俊介 氏
キューピーロゴ

日本人の食卓に欠かす事のできないマヨネーズ。その発祥は18世紀半ばに遡る。当時イギリス領だったスペインのメノルカ島にフランス軍が攻撃をしかけた。その指揮をとっていたリシュリュー公爵が港町マオンの料理屋で出会ったのが、お肉に添えられているソース。公爵はそのソースが気に入り、パリで「マオンのソース」として紹介。それが「Mahonnaise(マオンネーズ)」と呼ばれ、その後「Mayonnaise(マヨネーズ)」となったという説が有力である。

そのマヨネーズに魅せられた日本人がいた。キユーピー(株)の創始者、中島董一郎氏である。1925年、日本初のマヨネーズの製造・販売を開始。誰からも愛されるようにと「キユーピー マヨネーズ」という商品名がつけられた。

太平洋戦争という暗い時代を挟みながら、約90年という歳月の間、「キユーピー マヨネーズ」は信頼を育んできた。キユーピー(株)品質保証本部設計品質部 部長 堀池俊介氏に、言葉だけではない「お客様の満足」のために、正直に行ってきた品質向上への取組みを伺った。(聞き手:大坪和博)

日本人の体格向上を願って開発された「キユーピー マヨネーズ」

―御社の代表商品といえば「キユーピー マヨネーズ」ですが、このマヨネーズに着目された経緯をお聞かせください。

代表商品でもある「キユーピー マヨネーズ」
代表商品でもある「キユーピー マヨネーズ」
(以下、写真提供:キユーピー)
創始者中島董一郎氏
創始者中島董一郎氏

日露戦争のころ、弊社の創始者である中島董一郎は、水産講習所(現東京海洋大学)で学んでいました。卒業後、缶詰の生産や販売についていくつかの職場で学び、北海道や樺太、カムチャッカで鮭や鱒の缶詰をつくる事業を手がけました。その後、当時の農商務省の海外実業練習生としてロンドンやアメリカの各地へと赴きました。

ロンドンでは、下宿先の老婦人から「オレンジママレード」のつくり方を教わり、いつかはこれを作ってみたいなと、中島は思ったそうです。そして、第一次世界大戦の戦火が激しくなってきたことからアメリカへ渡航し、そこで出会ったのがポテトサラダに使われていた「マヨネーズ」でした。栄養があって、しかもおいしいということで、ぜひこれを日本で紹介したいと考え、オレンジママレードとマヨネーズづくりの構想を温めていきました。弊社には、オレンジママレードに代表される加工食品分野と、マヨネーズに代表される調味料分野という大きな柱が2つあります。その源流は、中島が農商務省の海外実業練習生としてロンドンやアメリカの各地で体験したことがきっかけとなっています。

その時に着目したのは、美味しさだけではありませんでした。中島は、日本人の中でも小柄な体格でした。欧米人の立派な体格を目のあたりにして、「これは食べる物の違いが大きいのではないか」と思ったそうです。そこで、日本人の体格向上を願って、当時の輸入品と比較して栄養価の高い卵黄のみを使ったマヨネーズを日本で発売しようと考えたのです。

1919年、現在のキユーピー(株)の前身となる食品工業(株)が設立。その後、日本を変える出来事が起こりました。1923年9月の関東大震災です。10万5千人余りもの死者・行方不明者を出した未曾有の災害の後、帝都復興として江戸時代以来の東京を中心とした日本の街並みの大改革が進みました。区画整備とともに耐震構造を施した近代建築が並ぶ街並みへと東京が変わっていく中で、女学生たちの服装も、着物姿から洋装へと変わっていきました。そのような時代の変化の中で、マヨネーズの製造に踏み切ったのです。試行錯誤を重ねたのち、1925年、国産初のマヨネーズが誕生しました。それは、中島が夢見た、日本の人々の体格向上を願って卵黄のみを使用した、栄養豊富なマヨネーズでした。

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